誰がために鐘は鳴る?

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大腸を取った②オペ前一週間

ここまでのあらすじ

なんやかんやで落ち着いていた持病が昨年12月に突如再燃、何とか寛解するも国試と就職をパァにして1年プー太郎が決まった矢先、コロナで本気の無職限界オタクに。コロナ禍で推しに投げ銭するだけの日々で体調を崩し、病院行ったら翌日入院になった

 

こうして入院生活がスタート

5/14(初日)

元気なので(元気なので)自力でガラガラキャリーケースとリュック、愛用のシナモンポシェット(※本人は21歳女性です)で全然元気にタクシーで病院へ。

手続きを済ませベットに到着、荷物をしまった後に点滴ルート取り。

主治医の先生の弟子みたいな先生が入院中の主治医になるとのことでその先生に取って貰ったのだが、点滴ルート取られながら(そういやこいつ昨日診察室にいたな…研修医かと思った…)と考えていた。

点滴ルートは取れたものの、今朝入院する直前に浴びたシャワーの際、顔を洗おうとして盛大に鼻に指を突っ込み、引くぐらい鼻血を出していたこともありルート採血が出来なかった(笑)いやおもんないけど

ので改めて採血を…まって…先生…?それシリンジですよね…?えっ…?

 

わたし「先生まって何ミリリットル採る?」

先生「10×2」

しぬて…

 

結局温情で(?)9ミリ2本にしてくれたらしいがさすがにちょっとクラクラした。

この日から絶食開始で点滴で生きていた。が、何しろ状態良く元気に入院なので安静度も何もなし、お風呂も入れちゃうとのことで特に何も困っていなかった。

安静度ってかなり重要で、今まで(可哀想なことに)緊急入院しかしたこと無かったので(ほんとに可哀想)、安静度が最大でも病棟内(同フロアのみ)だったが、今回は「制限なし」。

 

「制限なし」。

 

売店行けるし向かいの病棟から見えるみなとみらいも見に行っていいらしい。展望台あるんだよね。行ってやろうかな昼間。

 

そんなこんなで初日はのんびり過ぎていった。

昨年末入院していたこともあって顔見知りの看護師さんばかり(プチ情報:私は人の顔と名前を覚えるのが割と早いぞ!)で、向こうも覚えていてくださったおかげでかなり心強かった。

 

書き忘れていたんですが今回一応「虫垂摘出の手術」を目的とした入院で、一応手術する予定で(準緊急でねじ込んでもらった)動いていたのですがこの時点(初日)ではまだ確定じゃなかったらしい。そんなもんなん?

なので夕方に主治医にめちゃくちゃ意志を確認された。もう心は決まってるので…と思っていた。

ちなみにこんなに変わらず過ごしているけどSNSからは消えていました(草)多分この頃カメラロール全消ししてた(草)

 

5/15 

寝て起きたらちょっと推しへのモチベが戻る(チョロ)だがまだSNSは復帰できなかった…ものの…そろそろ安否を心配するLINEが届き始めて申し訳なくなったので1回だけつぶやいたさすがに。

昨日手術予定で動く意志の確認をしたので本格的に動くことになったが、予定日が1週間後の木曜と聞かされてビビる。術前の準備とか出来んの?!今日前週の金曜日だよ?!

ということで2日目にしていきなり呼吸機能の検査と心電図の検査へ

超元気なので(腹痛も治まっていた)入院患者パジャマに点滴棒を連れ、健康体のスピードで大学病院内をウロチョロ。ついでに売店も行ってみた。

ちなみになんですけど売店が医師フロアにあるんですよ。行ったのお昼時だったからかめちゃくちゃ美味しそうなお弁当超あって買いそうになった。いいなぁハンバーグ弁当。こっちは絶食だっちゅーのに…

 

この日も検査はふたつで終わり。こんなんで来週出来んの…?と思いつつ病棟に帰る。

ちなみに呼吸機能の検査って所謂肺活量のアレなんですけどなんか片方難しくて(?)過呼吸寸前までやりました。しぬわ

 

この辺からカルテにも手術予定で動くことが記されていたため手術準備が始まる。

看護師さんから術後のケアとか必要物品についての説明を受け、売店に買いに行き(お弁当…………………)、それを病棟の看護師さんからオペ室の看護師さんに渡していただき…と言った感じ。

 

5/16

精神的に生き返り(オタクはなかなか死なない)、SNSに顔を出し始め、好きなメン地下のツイキャスを覗くぐらいには(メンタルが)回復。

1番仲の良い友人にだけ入院した事、手術を受けること、SNSから消えた理由、全て話しました。

検査などは土日なので特になく、WiFiも手に入ったので配信見たり動画みたりして過ごす。

 

5/17

母の誕生日だった。母とは仲がいいので毎年祝っているのだが今年は不安にさせてしまったな。親不孝だな…と思いつつLINEはしっかり送った。

この日も検査などは特に無く、オペ準備のためのおむつ(トイレ行けないからね)や傷保護用の腹帯、おむつなどなどを買い揃えに行った。(お弁当…………………………トマトチーズハンバーグ弁当……………………………)

 

5/18

週も明け、いよいよオペが迫ってきた。

昼間に足の血栓予防を兼ねてエコーを行った。血栓の値が少し高いものの問題は無いだろうとの事だった。

担当医の先生も外科の先生に代わり、オペ三日前にIC(インフォームド・コンセント)を行った。

術式の説明、リスク管理、輸血の同意、など…

自分のことなのにまだ実感がわかなくて、興味深く聞いていた。

 元々昨年末に体調を崩した時にオペの話は出ていたし、その時に覚悟は決めていたから今更どうとかはあまり思わずに説明を受け、同意書にサインをした。

母は気を遣ってくれたけど思ったよりも大丈夫だった。なんでなんだろう。

オペするならTwitterで言わなきゃいけないよなぁ、もしものこともあるし。推しにも言わなきゃな…心配するだろうな…頭の中はそんなことばっかだった。

 

5/19

麻酔科の診察が入る。麻酔の説明とあとは歯とか喉のリスク、術後の痛み管理の話など。

今回は全身麻酔だったが、その前に硬膜外麻酔と言って背中にカテーテルを置き、術後の痛み止めを定時的に流す、所謂「オペのため」ではなく「術後の痛み止めのため」の麻酔も行った。これがあるのと無いのでは痛みが数倍違うらしい。

麻酔科の先生にもお会いし診察を受け、問題ないとのことで説明も受け、この日は終わり。

 

5/20

気づいたらオペ前日。

日中に麻酔科のオペ室医師やオペ室の看護師さんに改めて説明を受けた。

「何か不安なことありますか?なんでもいいですよ」と言われたもののもうここまで来たらなるようにしかならないので、都度気になったことだけ改めて確認していた。

Twitterでも言った。思ったより反応がきてびっくりした。心配されてたんだなーと思った。

 

推しにもDMした。Twitterではさらっと言ったし、人の前では気丈に振る舞えていたと思う。

でもここはダメだった。

前回入院しただけであんなに心配する優しい推しだ。こんなこと、オタクに言われても困るよな。本当にごめん。本当に悪いと思ってる。ごめんね。

でももし、明日目が覚めなかったら、君に何も伝えないままだったらきっと後悔すると思ったんだ。それに、君と何か、なんでもいいから「約束」を残していけたら、もしもの事があってもそれを導に帰ってこられる気がした。一人で帰ってこられる自信はなかったから。

もう散々病気で悩んだ人生で何回も投げ出したくなったけど、前回退院してから、コロナで会えなくなるまでの短い間に「生きる事」を肯定してくれたのは他でもなく今の推しだったから。

だから、誰にも言えなかった不安も少しだけ混ぜて、DMを送った。ごめんね。いつも君の優しさに救われてしまう。

 

まあこんなに思い詰めてはいたけど、あくまでフランクに、サラッと書いて送った。長くなるのはデフォ。ごめん。忙しいだろうに。

 

そんなこんなで前日が終わり、自分でも驚くぐらいちゃんと眠れた。

自分でも肝の太さに感心した。